COYO’s Story
フィジーで育ったヘンリーにとって、ココナッツは生活の一部だった。
世界で初めてとなるココナッツヨーグルトを生み出すことはごく自然なことだった。
楽園のような島のココナッツ林で楽しく遊んでいた一人の少年によって、私達の歴史は始まった。
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COYOの発明者、ヘンリー・ゴスリングはフィジーで生まれ育った。イギリスからの難破船の船長であったキャプテン・ハリー・ゴスリングの孫である。ヘンリーはスバで育ち、学校が休みの時には、ココナッツの芽が出る苗木に囲まれたサブサブの農場をいつもさまよい歩いた。6人兄弟の長男としての彼の仕事は、ココナッツを集め、割ってジュースを掻き出し、それを火にかけて絞り、夕食のためのミルクを作ることだった。主にココナッツカレーを作るためのものだった。他のオーストラリアの子供たちが豆の皮をむく代わりに、彼はココナッツの殻を割って中身を掻き出していた。ココナッツは美味しいだけでなく、栄養価がとても高いものであることは、フィジーの人々の間では常識であった。科学的にその素晴らしさが証明されるずっと前から、ココナッツミルク、水、油と肉はフィジーの人々にとって欠かせないものとして代々受け継がれてきたのである。 7人の子供達は巣立った2009年6月、ヘンリーは退職し、オーストラリアの海辺で妻のサンドラとのんびり暮らしていた。ヘンリーはココナッツの利点を新しい形で世の中に広められる方法を模索していた。そう、今までに誰も成しえなかったやり方で。ある日曜日の早朝3時頃、ヘンリーは突然ベッドから起き上がった。ココナッツからヨーグルトを作るアイディアがひらめいたのである。彼はインターネットでこのようなものが既に作られているかどうか検索した。 ヘンリーの実業家としての本能がうずき始めた。彼は人々が一口食べたら夢中になるような、柔らかくクリーミーなココナッツヨーグルトを想像した。味だけでなく健康上の利益もうたえるもの。そんなものが果たして作れるのだろうか?ヘンリーはどうすれば良いかわからなかった。ヨーグルトなど作ったことがなかったが、ココナッツで何かすることは彼にとってごく自然なことであり、子供の頃からの情熱が彼を突き動かし始めたのだ。 試作品を繰り返し作っては試食し、質の高いココナッツヨーグルトCOYOを完成させるために6か月の期間を要した。サンドラは人生のこの時期に新しいビジネスに踏み出すことに躊躇していたが、乳製品やグルテンなどの食物アレルギーや乳糖不耐症の人でも食べられるヨーグルトに期待する気持ちもあった。ただ、それは容易なことでないことを彼女は身をもって知っていた。彼女は第一子出産後に喘息が悪化し、また腸のバランスが悪いことも発覚した。グルテンや乳製品にもアレルギー反応を起こすようになったが、発酵食品やプロバイオティック食品を摂ることによって腸内フローラのバランスを改善させ、体調を整えることが出来たのだ。 2009年11月、サンドラは彼女が通うヨガ教室にココナッツヨーグルトのサンプル持っていき、試食してもらった。反応は素晴らしく、「口の中が天国のよう!」と大好評であった。 2010年初旬、ヘンリーとサンドラは全財産を叩いてCOYOの商品化の実現に向けて歩み始めようとした。しかし、サンドラの心に不安がよぎった。私達は果たして成功するだろうか?サンドラは密かに、ヘンリーがココナッツを過信しすぎておかしくなっているのではと思い始めていた。 最終的な決断を下す前に、二人は頭の中を整理するため、ぽかぽか陽気の中サンシャインコーストの海辺をゆっくり散歩していた。すると、足元にフジツボが絡まったココナッツの実が流れてきたのだ。まるで遠く故郷フィジーから海を渡って彼らに会いに来たように。COYOの商品化に向けて青信号を示してくれるような、まるで成功を暗示してくれるようなサインだった。COYOが世界中の食通を虜にする前触れのように。